粧うということ

 劇団雌猫『だから私はメイクする』を読んだ。

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査

 

 本書は「自分のために」「他人のために」「何かを探して」の3章という構成になっている。私は他の誰でもなく自分のために化粧をしてコスメを愛でているので、特に1章は共感した。

 

本書の良さは、様々なバックボーンを背負う人々が「粧うこと」をポジティブに捉えている点に凝縮される。<女性は社会に出たら化粧をするのは当たり前>だとか、<化粧について語り合っていいのはカースト上位のキラキラ女子だけ>だとか、思春期から大人になるまでの間に知らぬ間に染み込まされた呪いのようなものを一蹴する。一貫して「メイクって楽しい!」というメッセージをいろいろな角度から書かれているので気持ちがいい。

 

私は学生時代カースト上位の人間ではなかったし、美人でもない。今こそ化粧品が好きだけど、未だ友人と語り合うのは気恥ずかしさが伴う。誰かに言われた訳でもないけど、「美人でもないくせに化粧品について語るなんて…」と揶揄する声が聞こえるような気がしてしまう。そんなつまらないことを言う人放っておけばいいのにと今は思えるのだけど。頭で分かっていてもいざ話そうと思うと抵抗がある。刷り込みというのは恐ろしいものだ。

 

話すことに気恥ずかしさが伴うからこそ、コスメに関する情報を得たり発信するのは決まってネット。本書「コスメアカウントを運営する女」を執筆した方のアカウントのような所謂コスメ垢を覗いてみたり、instagramを覗いてみたり。コスメ垢さんたちってみなさんコスメ愛に満ち満ちていてる。SNSで散見されるコスメ愛を読み、1人コスメをひっそりと愉しむのがいつしか趣味の一つになった。

 

<こっそりと1人で楽しむ>という感覚は、まさにこの本の特別インタビューで宇垣美里アナウンサーが語る「なにかつらいことがあっても「でも今つけてるマスカラは赤いからな!とか「でもアイライン紫で引いてっから!」と思うと鼓舞できる」というこの一言に凝縮される。

 

誰かに気づかれなくていい。自分だけが知っている日常のスパイス。さながら梶井基次郎檸檬』のよう。

爆弾に見立てた檸檬を洋書を積み上げた上に置いて爆破する様子を妄想して1人楽しむように、「でも今日のマスカラは赤!」と愉しむ。檸檬は爆破しないし、赤いマスカラは嫌いな上司を何処か遠くに追いやったりしないと分かっていても、ひょっとしたらなにか起こしてくれるかもしれない。そんなふうに考えているとコスメが思い通りに行かない日常を壊す爆弾に思えてくる。

 

私にとって「粧う」ということは、日常を壊す爆弾を身に纏うということ。